#6

専門学校に入学して、初めての夏休み。

 

 

 

3ヶ月ほど経っていい意味でも悪い意味でも、映像学部のみんなの人間性が見えてきた。

 

悪いやつじゃあないけど単純に自分が合わないだけだとか、友達としては付き合えるけど一緒に仕事はしたくないタイプとか。

 

 

ただ一つ思うのは、私は今後小規模アカで迎えに行った人以外に心を開くことはないんだろうなって。

 

 

 

 

 

 

それだけ。

 

 

 

 

 

#5

どうも、久しぶり。

 

とうとう、高校卒業。

4月からは専門学校での新たな生活が始まる。一人暮らしもするわけで、どうだろうか。わたしは、生きていけるのだろうか。

 

 

 

 

一人になった途端、また、自殺を図るかな、

 

 

 

 

 

 

最近は特に、短気になった。

"__ちゃんは、優しい"と、言われていた私どこへ行ったの。ねぇ。

 

 

今年こそは、しあわせだと思う瞬間が、ありますように

 

 

#4

2度目の大失恋。

 

 

 

 

彼女が言うには、女の子への好きが分からなくなったみたいだ。

 

 

 

 

 

 

 

こんなにも、真っ直ぐ愛してくれた人は初めてで、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんなにも安心して待っていられたのも初めてだった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でも、何となく分かってた。

 

離れていく、彼女の心が分かってた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

気が動転していた私は、友達に戻るだけだよと優しく諭した。

 

 

 

 

 

 

冷静に対処してるように見えて、泣いてた。

一晩中、泣いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

友達、として付き合えるだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は、立ち直れるだろうか、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

キープを何人も作ったバチが当たったのか

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あゝ今日も愛されたい

#3

私は希死念慮を抱いた時から、

 

"20歳まで生きる"

 

事を目標としてきた。

 

 

 

 

 

 

これが将来の夢であった、

欲を言えば愛する相手と心中。

 

 

 

そんな人間に今更将来に希望を持て、進路を考えろ等と言われたところで無理難題である。

唯一信用できる祖父を亡くし、最後の恋だと、心中の約束すら出来た相手すらも無くした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この子が去ってから、あれだけ一途に愛せたのに数人と恋人のような関係を持つような人間になってしまった。

 

 

 

 

いつも、虚しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あいされたい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これ以上生きる理由がどこにあるのだろう

#2

飛ばして今現在(17歳)、私は通信制高校へ通っている。普段はバイト。

 

給料は全て学費は回し、毎月の給料日には自由に使える金一万、携帯代一万、家へ一万。

 

 

 

 

世の同い年くらいの子はその働いた金を自由に使える。

 

学費だって払ってもらえる。

 

親金で推しのATMとまで言える。

 

 

門限だって18時じゃない。

 

 

何一つ迷惑をかけていないにも関わらず、母を伝って何かと言われる。直接すら言えない図体だけ大きい、小さい人間。

 

咀嚼音が本当にストレスでしかない。

 

あげくタバコを吸い、咳払いが本当に五月蝿い。

 

 

 

 

 

 

 

 

少なくとも私は母にもこの男にも一ミリも感謝も尊敬もしてない。

 

 

逃げ場を提供してもらっただけ。

 

私は何も求めてないし、求められても何もしない。

 

 

 

 

 

一度捨てられた女に同情する余地はないし、なにより自分よりもこの男を優先されたので。

 

 

 

 

 

 

後一年すれば、何が何でも家を出る。

 

 

 

 

それまでに耐えられるのだろうか。

 

 

 

 

 

 

ここ最近は自分の感情を抑えられない、辛い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

疲れた。

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思い出すだけで吐き気が抑えられなくなるので余り多くは語らないが、その女から主に精神的な虐待を受けていた。

 

 

 

 

虐待というのは怖いもので、自分が悪いからだと思い込むようになる。周りに助けを求めると言う選択肢すら出なかった。

 

 

殴る蹴る等の身体的なものもあったが、一番は言葉だ。本当に気狂い。自分が流産した事も、私が下の子をいらないと言ったからだと言う。妊娠糖尿病になったのも、ダウン症で産まれてきたのも私のせい。

 

私が、ママに似た顔立ちをしているのが腹立つと理不尽な叱責を受けた事もある。

 

 

 

 

こんなクソったれにも関わらず、やっぱり大人というイキモノは馬鹿で、児童相談所の職員も中学の教師も、父も祖母も、女の涙で完全に私の敵となった。元々信じてないので、悲しくも何ともないが。

 

あれだけ、大好きだった父に卒業式の朝"そろそろ許してやってくれ"と言われた時にはフロントガラスに頭を叩きつけてやろうかと思った。

 

 

 

 

 

 

無事に中学を卒業し、再び祖父母宅に引き取られれば学校もないので部屋に引き篭もっていた。ただ、周りの大人に味方がいない為人間不信が加速し、統合失調症抑鬱不眠症を発症した。あげく、碌に食事も取らずコーヒーばかり飲み、市販薬でのオーバードーズリスカをする日々だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

15歳の冬、私は死んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして高校入学間近、私は家出をする。

 

私を捨て、男と一緒になった母の元へ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

多分、薬で頭がヤられてた

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そして小学校5年生。

 

父が女を連れてくるようになった。

 

 

 

祖母は私に母親代わりが出来ると喜んでいたが、私にとっての母親というものは、いくら捨てられたとは言えママしか、一人しかいない為、受け入れ難かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それでも結婚に反対しなかったのは父親が幸せならそれで良いと思ったからだ。

 

 

 

 

 

 

 

幾ら信用していなくとも、まだ親を想う気持ちというのは少なからず残っていたようだ。

 

 

そして暮らしに女が加わった、が結局上手くいかずに父と女との三人で家を出る事となる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして約5年間の、地獄の日々が始まる。