#1

私が初めて希死念慮を抱いたのは9歳の時。

 

両親は私が小学校2年生の冬、離婚していた。

 

それを本人達から、ではなく祖母から聞かされる。

 

 

 

 

 

 

此処で私は理解する。

 

 

 

 

父の地元へ帰り、周りの大人達からの"可哀想"とでも言いた気な同情の目の理由。

 

抑も何故母親と離れて暮らしているのか。仕事で離れてるだけだと思い、信じていたあの気持ち。

 

 

私は声を上げて泣いた。こんなにも深く失望したのも、こんなにも泣いたのも最初で最後。

 

 

 

今まで何故誰も教えてくれなかったのか、

きっとまだ幼かったから、と彼等は言い訳を並べるのだろう。しかし、時に優しさは仇となる。

 

 

私が人間不信に陥る原因の一つと言っても過言ではないだろう。そこからはやっと隠さなくて良いんだとでも言うように"母親は浮気をしていた、娘より男を取った最低な女だ"と、皆口を揃えて言う。

 

周りの大人達が揃いも揃って言うので、幼かった私はそれを信じた。信じるしかなかった。

 

自分を置いて離れたママに、捨てられたのだと思った。

 

 

 

 

 

 

けれど本当は、心底どうでもよかった。

どちらが嘘を吐いていようが、責める気すら起きない。私は、周りの大人に揃いも揃って嘘をつかれていたことが悲しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ただ、ただ、虚しかった。

 

 

 

寂しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして私は、父親も母親も、親と思わなくなり、

周りの人間全てを疑って生きることになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

挙句、この日以前の記憶が曖昧になる。

 

人間の脳というのは案外融通の効くもので、嫌な記憶を消そうとするらしい。

 

 

 

良い思い出も全て忘れてしまった。

昨日の事すらも余り覚えられなくなっているのだ。