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思い出すだけで吐き気が抑えられなくなるので余り多くは語らないが、その女から主に精神的な虐待を受けていた。
虐待というのは怖いもので、自分が悪いからだと思い込むようになる。周りに助けを求めると言う選択肢すら出なかった。
殴る蹴る等の身体的なものもあったが、一番は言葉だ。本当に気狂い。自分が流産した事も、私が下の子をいらないと言ったからだと言う。妊娠糖尿病になったのも、ダウン症で産まれてきたのも私のせい。
私が、ママに似た顔立ちをしているのが腹立つと理不尽な叱責を受けた事もある。
こんなクソったれにも関わらず、やっぱり大人というイキモノは馬鹿で、児童相談所の職員も中学の教師も、父も祖母も、女の涙で完全に私の敵となった。元々信じてないので、悲しくも何ともないが。
あれだけ、大好きだった父に卒業式の朝"そろそろ許してやってくれ"と言われた時にはフロントガラスに頭を叩きつけてやろうかと思った。
無事に中学を卒業し、再び祖父母宅に引き取られれば学校もないので部屋に引き篭もっていた。ただ、周りの大人に味方がいない為人間不信が加速し、統合失調症、抑鬱、不眠症を発症した。あげく、碌に食事も取らずコーヒーばかり飲み、市販薬でのオーバードーズ、リスカをする日々だった。
15歳の冬、私は死んでいた。
そして高校入学間近、私は家出をする。
私を捨て、男と一緒になった母の元へ。
多分、薬で頭がヤられてた